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概要

otona_osaka

25南地演舞場での興行は期間中、午後5時~11時、『パリのダンスの光景』など10本上映された。入場料は一般席10銭(今の2,000円相当)。連日、押すな押すなの大盛況だった。(上)荒木和一(1872~1957年)は英語力を生かし、後にカナダの生命保険会社関西支部長に就任、公式通訳官も務めた。新世界と通天閣の建造にも貢献。(下)稲畑勝太郎(1862~1949年)は専門商社、稲畑産業の創業者。第10代大阪商工会議所会頭と貴族院議員を歴任。フランスとの交流に尽力し、日仏文化協会を設立した。2人とも1年以内に映画業界から離れた。『ヘラルド・スクエア』の映像(約40秒)は1896年5月11日、エジソン商会が撮影。映画黎明期はこうした実写映像ばかり。15秒の短縮バージョンをYouTubeで観ることができる。初世・中村鴈治郎の『日本の俳優:男の踊り』。リュミエール商会の技師コンスタン・ジレルが撮影。3本とも東京国立近代美術館フィルムセンターの展示室で常時上映されている。始まり。 南地演舞場は、福岡鉄工所跡地から北へ約200メートル、?TOHOシネマズなんば?が入る東宝南街ビルにあった。映画興行発祥地の顕彰プレートが同ビル1階エレベーター乗り場の壁にはめ込まれている。先を越された荒木は1週間後の2月22日?24日、新町演舞場(西区)でヴァイタスコープを一般公開した。 シネマトグラフは手動式で撮影もできた。1897(明治30)年5月27日、相合橋たもとにあった南地花遊園で上方歌舞伎の初世・中村鴈治郎らによる所作事が3本撮影された。それらの映像が現存する最古の「大阪映画」である。 映画の初上映地&初興行地のなんばはまさに〝日本映画のふるさと?。このことは大阪の文化遺産としてきちんと認識されるべきだと思う。そのためにも鉄工所跡地にしかるべき記念碑の設置を願っている。