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概要

otona_osaka

24 生粋の浪花っ子で、映画が大好き!というわけで、大阪と映画の歴史的な関わりを探った『大阪「映画」事始め』を2016年、上梓した。図書館に日参し、新聞記事や資料をくまなく精査した末、あっと驚く事実を突き止めた。日本の映画初上映の地が定説の京都ではなく、大阪のなんばだったのだ。 日本に最初に導入された映写機がエジソン商会のヴァイタスコープ。心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和わ いち一が渡米中の1896(明治29)年8月、その映像をシカゴの劇場で観て感動し、すぐにニューヨークに向かい、エジソン本人に直談判した。11月、船便で日本に届いた装置は直流の電動式だった。大阪の電気送電は交流。動かない! あわてて電気変換器を探し回り、なんばの福岡鉄工所にあることがわかった。 その場所が南海難波駅の西側、複合施設?なんばパークス?を南に望む、難波中交差点の北東角。大きな排気塔が目印だ。12月のある日、鉄工所内で試写が行われた。本邦初の映画上映!それは映画史の中で埋もれていた出来事だった。このとき映写されたと思われる映像もニューヨークの繁華街ヘラルド・スクエアの情景と判明した。 続いて日本に渡来した映写機がフランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフ。1897(明治30)年1月9日、京都の染料店経営、稲畑勝太郎がその装置を携えてフランスから帰国した。渡仏中に再会した留学時代の旧友オーギュスト・リュミエール(兄)今年は映画興行120周年。興行や上映など映画の発祥に、大阪が深く関わっているということを知らない人も多いのでは?生まれも育ちも大阪、映画への愛や造詣も深いエッセイストが案内する、なんばから始まる、知られざる映画創成期のストーリー。取材・文/武部好伸 イラスト/金安 亮上映や興行はここから。大阪、映画はじめて物語。GUIDE武部好伸さんたけべ・よしのぶ/エッセイスト。1954年大阪生まれ。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動を展開。著書に『大阪「映画」事始め』(彩流社)、『ぜんぶ大阪の映画やねん』(平凡社)、『ウイスキー アンド シネマ』(淡交社)、『スコットランド「ケルト」紀行』など「ケルト」紀行シリーズ全10巻(彩流社)他多数。を介して興行権を得ていたのである。2月初旬、京都電灯の中庭(現在の旧立誠小学校)で試写を成功させ、2月15日から2週間、南地演舞場で一般公開された。これが日本での映画興行のなんばが映画初上映の地だった!リュミエール兄弟の映写機もなんばに。エジソンの映写機で日本初めての上映。