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概要

chizu_kyoto

99◆三月二十八日 午後7時30分・京都着 東京から11時間30分かけて到着。京都駅の前身である七条停車場に友人の狩野亨吉と菅虎雄が迎えに来ていた。◆三月二十九日「知恩院はよき所に候」 現在国宝に指定されている国内最大級の三門を目にした漱石は、その偉容に心打たれたのかもしれない。門下生の小宮豊隆宛ての手紙に率直な感想をしたためている。正岡子規の影響で俳句にも長けていた漱石は「時鳥あれに見ゆるが知恩院」と詠んでいる。京都帝国大学↓円山公園↓東大谷↓知恩院↓清水寺↓下鴨神社・上賀茂神社など◆三月三十日「銀閣寺の砂なんど乙なものに候」 銀閣寺の参道を抜けてすぐ目を引く砂盛りの「銀沙灘」「向月台」。漱石は白川砂を台座のように固めた意匠に感心したのか、手紙で小宮豊隆に伝えている。蕪村筆の本堂襖絵も印象に残ったのだろう。小説『夢十夜』には「山水人物画」とおぼしき描写がある。詩仙堂↓銀閣寺↓真如堂◆三月三十一日黒谷↓若王子神社↓永観堂↓南禅寺↓平安神宮など50カ所以上のハイペースで名所旧跡を回り、子規との思い出の詰まった?山ばな平八茶屋?にも再訪している。二度目の京都旅行は、以後の創作活動に多大な影響をもたらしている。この旅で積もりに積もった心の塵を落とした漱石は、新たな心で作家としての一歩を歩み始め、『虞美人草』や『三四郎』『それから』『門』といった名作の数々を世に送り出している。 漱石の友人で華道家の西川一草亭は「(漱石は)京都の庭では黄檗の万福寺が気に入って居たらしい」と回想している。何でも「明るくて好い」と彼は言っていたようだ。この寺へは2度訪れた漱石は、再訪した日の日記に「久し振で赤壁の山門と青い額と石段と松の様子を見る」と残している。一草亭によると、絵もたしなんでいた漱石は、萬福寺の話を終えるとすぐに宿の部屋へ戻って、萬福寺と思われる松林のある寺の絵をしきりに描いたそうだ。明るい庭と記憶に残る三門、絵にも描くほど好んだ寺。 江戸初期に創建。禅宗が好む松が多く植わり堂塔伽藍すべてが中国の明朝様式。青い額の「第一義」の文字は『虞美人草』に頻出。漱石は2度目の旅で訪れ、4度目の旅で再訪している。写真は境内の天王殿と総門(右ページ)。黄檗山 萬福寺 [宇治]●宇治市五ケ庄三番割3420774-32-39009:00~17:00拝観料金=500円黄檗黄檗JR奈良線京阪宇治線ローソン黄檗東宇治中公園夏目漱石40 歳の