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概要

kyoto_bon_2015

安土桃山江戸明治共作もあるのが宗達だ。宗達は生没年不詳の人物だが、光悦に才能を見出され、共に活動したことはわかっている。この二人が出合い、作品を生み出したことが琳派創生のきっかけとなる。 扇絵が評判の宗達が注目されるのは、?養源院?の『白象図』を描いてからだ。圧倒的なデザイン力と優れた技法の名作は、今も養源院で本物を拝見できる。斬新な作風に惹かれ、琳派を継承したのは宗達没後に生まれた尾おがたこうりん形光琳と乾けんざん山兄弟。光琳は宗達の作品を模写するなどして独自の作風を築く。ちなみに琳派の名称は光琳の一字を取ったものである。 光琳没後、酒さかいほういつ井抱一らが江戸で興した琳派の波を、明治期に京都で再生させたのは神かみさかせっか坂雪佳。雪佳は欧州視察で改めてその素晴らしさに気付いた。琳派の担い手が、継承を決意する一番の決め手はいつの時代も同じ。作品への憧れと感動が彼らを動かしてきた。琳派を京都で楽しむ最大の魅力は、こんなに長く愛される理由を、ルーツを辿りながら実感できることだ。老舗が調製する縁のお菓子など美味しい出合いも待っている。本阿弥光悦(1558~1637)俵屋宗達(生没年不詳)尾形光琳(1658~1716)尾形乾山(1663~1743)神坂雪佳(1866~1942)刀剣の鑑定や研ぎを生業とする京都の名門本阿弥家に生まれる。寛永の三筆に数えられる書だけでなく、蒔絵や茶陶にも親しんだ。宗達が下絵を描き光悦が三十六歌仙の歌を書いた『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』は王朝文化を彷彿とさせる料紙装飾の傑作。扇絵を得意とした京都の町絵師で、後に朝廷から画家の最高の栄誉「法橋」を与えられる。宗達が[養源院]の杉戸絵等で用いた「たらし込み」の技法は、琳派で受け継がれた。現代のデザイナーにも影響を与える、圧巻の構図で対象をユーモラスに描いている。京都の高級呉服商「雁金屋」の次男として誕生。特権商人的な家業が破綻したことを機に30代後半で絵師を目指す。京都を離れ、江戸で活動していた時期には、江戸琳派の担い手、酒井抱一の家にも出仕。『風神雷神図』を模写するなどして、宗達芸術の復興を目指した。尾形光琳の弟。家業の没落を機に、京都の鳴滝に窯を築いて陶芸家の道を歩み始める。光琳との兄弟仲は良く、光琳の絵に自身の書を添えた器などを制作している。同じ琳派でも兄とは作風を異にし、シンプルな表現は懐石料理等で用いられる器の絵付けにも表れている。武士の長男として京都に生まれる。はじめは日本画の絵師を目指すが、次第に装飾芸術に傾倒。明治末期の欧州視察をきっかけに琳派の世界へのめり込む。京都の[芸艸堂](P43)から宗達風や光琳風の図案を多数掲載した図案集『百々世草』を出版している。一目瞭然、琳派年表鷹峯移住が琳派のきっかけに!?京都が生んだ鬼才。現代にまで影響を及ぼすスーパー絵師!!宗達の作品に惹かれて模写。琳派の流れを作る。兄・光琳と共に活躍。陶芸家として名を残す。海外視察で琳派の価値に開眼!16001603170018001868尾形光琳「太公望図屏風」二曲一隻(重要文化財)一部、京都国立博物館/琳派誕生400年記念 「琳派 京を彩る」展(P40)より37