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概要

kyoto_kottou

3 ファッションを楽しむように、街でスイーツハントをするように、古いものを楽しみたい。 こう書いてみて、それがどうしたアタリマエじゃないのと思うのだが、そういうふうに思えるようになるには、ちょっと時間もかかった。古いものを集めて評価することと、よいもの/そうでないものの規準には、長い時間をかけて茶人やコレクターのような目利きがつくりあげたものがある。そこには、ものと人とが試し試されながら本物を求めてゆく「道」があって、そこを、歩き方を知らない人が迷い込んでも面白くはない。骨董店の「入りにくさ」は、そのことをやんわり伝えてくれている。 そうは言っても、その「道」の外にだって、古いものはある。むしろそちらの方に、無限にある。錆びた歯車、昭和の茶碗、古代の土器のカケラ。骨董評価の俎上にあがったことのない無銘のものたちを、「楽しい、かわいい、使ってみたい」という日常的な評価で照らしてみたら、がぜん輝きだすものたちが、なんとたくさんあることか。 古物業者の競り市で見た、忘れられない光景がある。その市は、ピカピカの仏像から、どこかの家のタンスの上にあったコケシのようなものまでが雑然と山積みされていて、まるで「もののヤミナベ」だった。それでも競りが始まると、ものは次々と業者さんに選ばれ、買った人のトラックに納まってゆく。帰り際、荷台に積まれて新しい持ち主と一緒に帰ってゆくものたちの後ろ姿を見て、私はギョッと目を見張った。破れた屏風もアールデコの椅子もホウロウ看板も、競られるのをじっと待っていた時のホコリじみた風体から一転、見違えるように堂々として美しい。何故だろうと思って少し目を引くと、一緒に並ぶ屏風とアールデコとホウロウ、それまでバラバラだったものたちが、選んだ人の「好み」で結びつけられて、そこにひとつの世界ができあがっているのが見えた。見出されて評価され、新しい世界観の中に置かれることで、それまでなんでもなかったものが輝く。「こっとう」は、こういう場所からやってきて、そういう人の手で伝えられるのだと知った。 夕日に照らされ、黄ばんだコケシに後光がさしているのを見ながら、こんなミラクルにこれから何度遭遇できるだろうかとウットリ考えた。日本のどこよりも古いものの懐の深い京都で、そのチャンスはきっと無限にある。京都〝こっとう?パラダイスへようこそ  沢田眉香子