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概要

tsubo_kyoto

 将軍家の京都出張所として徳川家康によって創建された二条城は400年を超えるその歴史のなかで江戸幕府、朝廷、京都市と三度も持ち主が変わった。 しかし、二の丸御殿各間の障壁画の数々は江戸初期に飾られて以来、ずっと二条城を彩ってきたもの。遠とおざむらい侍、式しき台だい、大広間、黒書院、白書院のほぼすべての障壁画はカリスマ絵師、狩か野のう探たん幽ゆうが率いる狩野派によって描かれたものだ。狩野派といえば超絶技巧、躍動感、そして眼ヂカラ。恐れる必要はないが、気を許してもいけない。遠侍「二の間」を飾る『竹林群虎図』(重文)の迫力はどうだ。まだ玄関をくぐったばかりだというのにのっけから虎が飛びかからんばかりだ。「勅ちょくし使の間」上段には一見、優美な『青楓図』(重文)。貴族向けにやや迫力を抑えたかと思いきや、金箔地に描かれた楓が極太。画面いっぱいに伸ばした幹にはわずかに紅葉した葉が茂る。この色の大洪水には朝廷からの使者も圧倒されたことだろう。遠侍武家建築において警備のための武士が控える詰め所。式台座敷と玄関の間に設けられた部屋。客の送迎などに使われた。大広間二の丸御殿ではもっとも格式が高く、将軍が諸大名と対面した部屋。黒書院将軍と譜代大名、親藩大名が対面した部屋。探幽の弟、尚信の襖絵が名高い。白書院将軍の居間、寝室として使われた。内部は落ち着いた水墨山水画で装飾されている。二条城 ?にじょうじょう?押して引いて…狩野派大博覧会。一二条城のツボ42