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概要

kyoto_chuka

「京都の中華はおいしいらしいね」と、京都の人ではない人に言われたことがある。一瞬、どう返答しようか考えた。おいしい、確かに。でも、伝わるかなあ、あの静・か・な・味・||。ためらいの素もとは、そんな遠慮のような気持ちだった。例えば、? 草そう魚ぎょ?のにんにくなし餃子の味の軽やかさ。? 糸いと仙せん?のはちみつみたいなたれがかかった酢豚の味のきれいさ。? 盛せい京きん亭てい?のかやくごはんみたいな焼やき飯めしの味のまるさ。中国の人が見たら(もしかしたら京都以外の日本の人が見ても)、「これは中華料理?」と首をかしげるかもしれない。「京都の中華」という言い方をした時、それが指すものとはなんだろう。京町家を改装した店で出される中華料理も「京都の中華」であるだろうし、京野菜を使った中華料理なんかも「京都の中華」だといえる。でも、あの時「伝わるかなあ」と思った「京都の中華」は、そういう「わかりやすい京都らしさ」をまとっていない。品書きひとつ見ても、「餃子」「春巻」「酢豚」と定番メニューの名が並んでいるだけ。が、それらがテーブルに出てくると、その盛り付け、その味付け、その食べさせ方に、これもまた、いや、やはりこれが「京都にしかない中華」だと再確認させられるのだ。よく言われるのは、お座敷に「におい」を持ち込むことが嫌われる祇園などの花か街がいで育った、にんにく控えめ、油控えめ、強い香辛料は使わないあっさり中華、という特徴。しかし、それ以外にもまだ「京都の中華」たらしめているものが「何か」ある。おいしいだしを吸わせるためにわざわざ麺のこしをころす、この街独特のうどんのように伝わりづらい、京都好みの「何か」。本書は、その「何か」とは何か、という疑問から、出発した。