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概要

M1509

41「手間は増えても、ええもん作るためやったら」と協力を惜しまない、家族みたいに仲良しなスタッフに支えられて。刻んでこけら寿司の間に挟むのに、こんな立派なのじゃなくていいやん! と思ってしまうほど、肉厚な大分県産原木椎茸を1日掛かりで甘辛く炊く。昨年復活した「大坂四清水」の1つ、大阪天満宮境内の地下水(右)に、天然醸造のしょう油(左)。創業当時と同じ素材を出来るだけ集めた。 美しい。実に美しい。彩りといい端正な姿形といい、折の蓋を開ける度、ほぉっとため息が漏れるほどだ。 この箱寿司は、「二寸六分の懐石」とも称される。内寸8・5㎝の正方形の押し型で、鯛、穴子、こけら(厚焼き玉子とエビ)を別々に押して6等分し、2切れずつ合わせて1枚にする。酢物、蒸物、焼物、煮物と五味五色、全部がこの1枚の箱寿司に凝縮。お見事だ。 創業は天保年間。旅籠から鮨屋に転身したのが始まりだ。箱寿司は明治の始め、三代目・寅蔵が考案。〝旦那さん御寮人さん?と呼ばれる口の肥えた人が住まいするリッチな町・船場の土地柄に合わせ、雑魚を使っていた大阪の押し寿司を、エビや鯛など高級魚を用いてバージョンアップしたのだ。これが大当たり。丁稚さんたちは、「いつか旦那さんみたいに、?吉野すし?を食べられるようになりたい」と精進したとか。船場の御ごりょん寮人さんに愛された「二寸六分の懐石」。 以来、大阪では鮨といえば箱寿司で、持ち帰り専門の客席のない鮨屋が格式高いとされた。それが、戦中戦後の米不足によって鮨屋は激減。世の中の動きは速くなり、さっと出せる江戸前にぎりが台頭する。 今回、朝5時半から昼過ぎまで厨房に潜入してみて、その手間暇の多さ・緻密さに、「箱寿司をやる店が減るのも道理」と納得してしまった。改めて、大阪寿司の伝統を守り続けてきた?吉野すし?の心意気や天晴れと感動さえ覚えた。しかも、七代目・橋本卓児さんは、ただ継承するのではなく、もっと厳しいことを己に課したのだ。 3年前、箱寿司をもっと知ってもらおうと、実演カウンターを設けたら、にぎり鮨の注文が増えてしまった。「本気で江戸前をやってはるお店に失礼やし、僕がやるべきことじゃないよな」と、七代目はにぎりを一切止めた。すると箱寿司に向き合う時間ができた。そしてより良くするためにたどり着いた答えが〝原点回帰?。「創業当時と同じ食材、調味料を使う」というのだ。 合理化が全てだった高度経済成長からバブルの時代にも機械化したわけではなかったが、見直してみると調味料には保存料が、しょう油にはアミノ酸が添加されていた。冷蔵庫のない時代に、翌日も美味しく安心して食べられるものとして生まれた箱寿司に、不要なものが知らず混入していた。 170年続くレシピは変えられないが、本来あるべき姿に戻すなら迷わずに出来る。まず塩は天日干しに、しょう油は天然醸造に、効率よく量産するために専門店に特注していた玉子焼きも店で焼く。折良く天満宮に水が出た。店の中の井戸は涸れたが、天満天神の水は真昆布のダシがよく出る大阪の軟水だ。これを汲んでシャリを炊くことにした。 二寸六分の立方体の意味も考えてみた。魚の形を活かせば棒寿司になるはずだ。でも小鯛の片身は三角形で、パズルのピースを嵌めるようにひとつの木型の中にピタリと納まる。素材それぞれの味の融合、材料の大きさ、彩り、口に入る量まで黄金比率で出来ていることに改めて気付いたと七代目は言う。「美味しいけど高価過ぎて手が出ない」とは、筆者もよく聞くご意見だ。でも、活けの穴子に天然の鯛など上質の食材に、調味料から水に至るまで本物で固めて、手間暇を惜しまずに作っているこの現場を知れば…「そんだけの値打ちあるやん」と、誰もが納得するはず。すでに1年前から、売り上げは徐々に上向いているらしい。 創業170年目に行われた、七代目による英断。それは、〝平成の改革?として、100年の後まで語り継がれるのかもしれない。170年目の改革〝原点回帰?。40年間溜まった膿を一掃する!